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建築をめぐる三人家族の物語

横山 彰人 著

第10章 なぜ二LDK?

こんな要望事項をワープロでまとめて見せた時、それまで明るく話していた顔が、「ウーン」というような声を出し話しが止まってしまった。 
   
四十代の経験が豊かそうな吉川はおもむろに口を開き、「奥様、この条件を全て満たすということは、簡単そうで至難の業です。不可能といってもいいかもしれません」

「なぜですか、広い東京にはたくさんマンションが溢れているじゃないですか。この条件は子供のためにも必要なものばかりなんです。なんとかお願いします」と、くい下がった。
その為に不動産の物件情報の多い老舗不動産業者を訪れたのだ。咲子は父親が資金を出してくれることもあって、なんとか希望通りのマンションを見つけたかった。しかしまだこの段階では、望んだ条件を満たすことがいかに大変なことか分らなかった。

 吉川は、大事な顧客を逃さないよう、慎重に言葉を選んで続けた。
「奥様の気持ちはよく分ります。ビジネスですから、なんとか要望に答えられる物件を探すための努力をしましょう」と約束してくれ、渡した要望事項の項目を指でさしながら、
「駅に近く買い物に便利で、進学で名の通った有名塾があること、そして将来的に資産価値が下がらず、夕陽が見える高層マンション。ここまでは当社の豊富な情報量をもってすればなんとか可能かも知れません。ただし、金額は別にしてね」と言って、ひと呼吸おいて、

「問題は、床の間付きの和室とか、収納スペースが多いとか、オープン性のある『間取り』といったことが、極めて難しいんです。多分ここが大きなネックになってくるでしょう」吉川の言葉を聞いて、考えていることと逆だと思った。むしろ、夕陽の見えるマンションは、一棟のうち南西か西に位置する戸数は限られているし、キッチンも、リビングに対してオープンになっているアイランド型のキッチンは、そんなに多くないはずだ。また子供の有名塾や私立幼稚園が近くにあることも、場所的に限定されると思った。

 しかし吉川はそんな条件はクリア出来、咲子の感覚でいうと普通の床の間付きの和室や、社宅や京都の育った家のような家族が一体となれる間取りを見つけるのが大変だと言う。その意味が分らなく、吉川に聞いてみた。

吉川はそんな質問を受けるとは思っていなかったらしく、今度は自嘲気味に、「不動産の供給状況がそういう形にはなっていないんです。そのことは、同じ業界で生きている私も、大きな不満を持っている一人なんです」と言って話をつなげ、「マンションや建売住宅を供給しているディベロッパーはまず、販売した場合売れ残り物件をいかに無くすかを念頭に企画します。その事が第一条件であって、これからの家族のライフスタイルを先取りするようなマンションや少数の家族が好んでも商売になりません。つまり一部の人が百点をつけても他の人が三十点では、販売は失敗なのです。

誰でもが七十点以上をつけるような、最大公約数の人に好かれるタイプを求めます。そうなると、可もなく不可もなく、個室を中心にした従来型の間取りになってしまうんです。まあ、企画担当者もあえてリスクを冒して、新しい間取りに挑戦して売れなかった場合大変なことになります。自分の立場を悪くするより、今までの間取りであれば仮に売れなくてもクビを切られる心配はありませんからね。この業界は極めて保守性が強いんですよ」
と言いながら、同意を求めるような目を咲子に向けた。

「従来型の間取りって、2LDKとか3LDKとかどこにでもある間取りのことですか」
と言って、吉川に質問した。「そう、奥様。どこにでもある間取り。つまり玄関を開けると廊下があって、3LDKなら廊下の両側に個室がひとつずつ並んで、突当りのドアを開けるとリビングダイニングがあり、リビングの隣には和室があるというパターンです。しかし和室には床の間はありません、スペースがもったいないですから。

この間取りは、三千万のマンションであろうと億ションであろうと、基本的に同じです。このパターンは五十年以上前、つまり初めてマンションが出来た頃と同じなので、〝究極の間取り〟とか〝ホテルタイプの間取り〟と呼んでいます。ハハハハ」
と吉川は、力のない笑い声を上げた。

つまり、様々なお客様の要望に答えるよりも、平均的に売れる画一的な間取りを優先した形で決まっているということだった。
咲子は、こんなに家族や個人のライフスタイルも多様化し求めるニーズも変わって来ているのに、住まいの間取りだけは五十年以上前と変わらないことに驚き、そして腹が立ってきた。

それは、建築不動産業界の古い体質というより、多様なライフスタイルに答えるという社会的な使命も忘れた、経済効率や利益優先主義そのものだった。

また吉川は、「必要以上広いベランダやたくさんの収納スペース、そして床の間についても、オープン性のある間取りと同じように見つけるのは難しいんです。今の住宅は部屋数主義ですから、金額の割に部屋数が多いことが、大きな〝売り〟のポイントになるんです。例えば収納が充実した四・五帖より、たとえ小さな収納でも六帖の方が売りやすいし、お客様も人に話す場合六帖の方が響きが良いんですね。またベランダも広ければそれだけ工事金額も高くなってしまいますし、お客様の中には必ずしも広いベランダを必要としない方もいらっしゃいます。それよりベランダにお金をかけないで販売価格を下げた方が競争力がついてきます。特別なロケーションがあるところは別でしょうが、ベランダの広い狭いはあまり〝売り〟にはならないことが定説なんです」と、この道のベテランらしく内実を分析してみせた。

 冷静になって考えると、吉川の言っていることは自分が知らなかっただけで、その通りかも知れないと思った。